菅原にある伯東寺は、もとは禅宗のお寺で白い藤が咲く寺にちなんで「白藤寺」と呼んでいましたが、応仁の乱で寺の管理者であった細川伯孝公が戦死し、その子伯義が出家して聞信と名を改め寺の開基となりました。その後浄土真宗の西派となり、天保4年(1647)には西派追放の憂き目にあいながらも明暦2年(1656)に再興されました。
全国から集まった学僧達の学寮で最も必要とされたものは釈迦の教えとインド・中国の高層達との論説とを集録した一切経でした。伯東寺には「鉄眼版一切経」六九五九巻があり、納められた輪蔵は太宰府天満宮安楽寺にあったもので、明治16年ゆえあって伯東寺に移されました。
金細工が施された高さ3メートル、回転する六角の輪蔵は享保14年(1720)の作で、県内に三つある輪蔵の中で最も造作が精巧であると、輪蔵がすっぽりとおさめられた経蔵とともに昭和46年に県の指定文化財となりました。
伯東寺からは東本願寺の講師にもなった学僧、細川千厳師が出ています。また現住職の叔父にあたる細川千仭は日本棋院の九段で関西棋院の創始者としても知られ、田主丸町に囲碁が広まるきっかけとなった人物として知られています。