明治13年、竹野村の綾部太一は広島から苗3000本と種子三升を買い入れ、91000本の松苗を育てました。これが山林苗の始まりで、植林事業が国策となると、綾部太一や内山恵太郎(後の内山緑地建設株式会社会長)らが育てた松、杉、檜苗の販路は関西関東にまで一気に広がり、全国の六割の生産を占めるまでになりました。
山林苗やツツジの影で細々と続いていた柑橘苗木栽培の技術も、日の目をみることになります。扇状地の砂礫質の土壌と水はけのよさで、耳納北麓は古くから果樹栽培が盛んでした。空前のブームとなった夏みかんの苗木づくりをきっかけに、本格的な苗木栽培が始まり、新しい品種が苗木業者によって次々と争って栽培されて全国へと送られていきました。現在、田主丸の柑橘苗木の全国シェアは、今や九割を占める一大産業となっています。
観賞樹、山林苗、みかん苗と多くの栽培家の研究と努力によって次々と新しい栽培法を見いだしながら「植木・苗木の田主丸」は300年以上の歴史を刻んでいます。
(参考文献『田主丸の苗木』浮羽苗木研究青年同志会・現福岡苗木研究会)