|
![]() |
|
農林大臣賞の賞状(昭和32年)
|
|
昭和初期、石だらけの山麓を手で開墾し、柿の木を植えていった田主丸の人々。 |
|
第一章 日本一になった日 | 第二章 柿狩り始まる |
接ぎ木の風景 |
古くから名物だった柿 名物の柿喰いに行くか羨まし 句仏 手で切り開いた柿畑 「元山」や、明治時代に一世を風靡したといわれる田主丸町の水縄地区の「水縄蜜柑」などの幻の名品は、扇状地の砂礫質で水はけがいい田主丸町が果樹に最適であったことを物語っています。 農林大臣賞受賞 戦争が終わった昭和20年代、米、麦の食料増産体制がしかれ、果物は贅沢品であり二の次と「果樹亡国論」が吹き荒れた時代もありました。しかし、農家はじっと耐え、柿をつくり続けました。砂糖が貴重だったこの頃、柿の甘さは特別なものでした。完熟の柿を煮詰め、その糖でつくったおやつを、こどもたちはいつも心待ちにしていたといいます。そんな時代をくぐり抜け、田主丸は柿の産地となっていったのです。柿の出荷は遠く福岡の市場まで、みんなで自転車で半日かかって運ぶ日々でした。 |
||
|
第一章 日本一になった日 | 第二章 柿狩り始まる |
|
HOME>田主丸はフルーツ狩りの発祥の地 第一章
|
|
Copyright (c) Kurume City Tourism & Convention Bureau, Tanushimaru Branch
All rights reserved. |